どこに行き着けば本当の幸せがあるのか?
山本です。
我々は零細企業です。
私なんかは社長一人の全国一小さい会社です。
私がなぜ社員を雇わないのか?
それは過去のトラウマから来ています。
大企業は、会社がひとつの組織として成り立っていて、
例えどんなスーパーセールスマンが辞めたとしても、
多少の影響はあったとしても、会社が大きく変わることはありません。
しかし、我々の世界では、社員の独立や裏切りがあったら、
会社の存亡に関わってきます。
いつも、私たちは不安と闘いながら生きているような気がしてなりません。
売上と利益を追いかける毎日。
どこまで行ってもそれを気にしながら生きていかなければならない。
もちろん、これはすべての企業が抱えている永遠のテーマ。
会社が半自動販売機状態になり、社長がいなくとも稼動してくれるようになれば、
これほど楽なことはありませんし、安心も得れることでしょう。
最近、自分は一体何のために働いているのか?
金儲けの先には一体何があるのか?
金儲けだけでいいのか?
金儲けよりほかに何があるのか?
では金儲けがいけないのか?
格好ばかり良いことを言っていても、金儲けすらできないのであれば、
そこに幸せはないのか?
そんなことをついつい考えてしまいます。
世の中、金ではないと言いますよね。
お金で本当の幸せは買えないと言いますよね。
でも、貧乏であれば、精神的余裕もないし、本当の幸せも来ない。
そんなことも事実だと思います。
精神的余裕がなければ、どんなに頑張っていても、
焦りばかりあって、幸せに感じることはできない。
金を持っているからこそ本当の幸せを感じることができる。
そうなのかもしれません。
日本人は今、年収300−500万時代とも言われます。
働けど働けど、そして才能があっても恵まれず、
ワーキングプアという言葉さえ生まれます。
二極分化の時代とも言われます。
片一方では、働くことさえしない若者が増え、戦後の教育が
足元から崩れ去ろうとしています。
そして、世界を見渡せば戦争、紛争に巻き込まれ、命を落としてしまう、
普通に働くどころか生きていくことさえ困難な国や地域もある。
また、飢餓や貧困で、まだ小学生にもならないような子供たちが
朝から重労働をしている国もある。
なんか話が支離滅裂になったり、過剰になったりしているような
気もしますが、「本当の幸せ」「自分の行き着きたい場所」を考えてみると、
訳が分からなくなったりもします。
究極のところ幸せとはその人の感じ方、生き方、心のあり方によって、
いかようにも変わるものであり、幸せの形や数は、生きている人の数だけ
あるような気がします。
大事なことは自分にとって生きていく価値がどこにあるのか?
価値を見出せる生き方をしているのか?
幸せの価値についてもう一度考えてみたいと思っています。