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考えた、戦略で結果が変わる。

山本です。

先日まで全国統一地方選挙が繰り広げられていましたね。
皆さんの地域でも選挙真っ盛りだったと思います。

高知でも朝から晩まで、選挙カーが走り回り、
毎度お決まりのマイクパフォーマンス。
あれって本当に効果があるのかしら?
ただ、うるさいだけだと感じてしまったのは私だけでしょうか?

その昔、私の弟が言いましたよ。
「お願いします。お願いしますばっかりで、当選したらみんなふんぞり返っている。」
「当選してからも頭を下げればいいのにみんな間違ってるんじゃない?」

まぁそれは良しとして。

今回の選挙の中で全国的に注目されていたものがありましたね。
長崎市長選挙と我が高知県の東洋町長選挙。

前者は、前市長が暗殺されて、元部下と娘婿との一騎打ち。
そして、後者は核の最終処分場誘致の是非をめぐっての選挙。

その結果は私の想像通りでした。
そして、結果を受けての敗者の弁もそれが敗因ですよ。
と思わず言いたくなるようなものでした。

別に敗者を批判するつもりは毛頭ありませんが、
やっぱり分かってなかったんだなと感じてしまいました。

その両者にいえることは戦略に大きな間違いがあったこと。

長崎市長選挙の場合は、わずか1000票の差で当落が決まってしまいました。
お互い前市長の後継者ということで、立候補をしたのですが、
娘婿である元新聞記者は、「同情票」に対する期待があまりにも高すぎた感がありましたね。

前市長の信用、信頼、評価が自分にもそのまま後継されるかのような勘違い。
前市長は前市長であって、彼は彼自身。

市政に対する考え方を継承するといった形をとり、その為にどのような政策を
施していくのかを争点にするべきだったと思います。

更に、まったく政治に対する勉強や経験が無い者に市民が納得できるだろうか?
ただの身内ということでは後継者となることは難しいし、市民が納得もできない。
暗殺されたという事実はとても悲しいことだし、同情もできる。
しかし、そこだけに焦点を合わせてしまうと、批判も出てしまう。

票の中には前市長の名前を書いていた方も数千人もいたという。
もし、前市長の後継者として、前市長の政策の部分に対しての
後継するアピールを具体的に前面に出していたら、
この票の半分は取れたのではないだろうか?
すると、わずか1000票差は逆転したかもしれない。
戦略を間違ってしまった結果と感じてしまう。

選挙後、前市長の娘さんの一言が如実にそれをあらわしている。
「父の信用はこんなものだったのですか?長崎を愛した父への仕打ちがこれですか?」
敗因はこの一言に有ると思ってしまったのは私だけでしょうか?

一方、高知の片田舎の東洋町長選挙。
結果は、最終処分場に反対だった元室戸市市議が当選し、白紙撤回された。
その結果は別として、敗者である前町長がこういった。

「町の財政を考えれば、最終処分場誘致で、数十億の金が入る。」
「最終処分場誘致は後で撤回しても、お金の返還はしなくてもいいのに・・・。」

何か勘違いしたのではないだろうか?
とりあえず誘致に対するお金をもらっておいて、後になって拒否するつもりだったのだろうか?
それとも、処分場の建設決定まで30年掛かるということをいいことに、
目先の利権にだけ走ってしまうのだろか?

たしかに、町の財政は破綻寸前かもしれない。
しかし、政治というのは、目先だけのことではない。
未来へ通じるものだ。それに対して町民が納得するわけがない。

ここにも戦略の間違いがあったと感じてしまう。

私は別に政治評論家ではない。
ただの私見だから、批判もあるだろうし、別の意見もあると思います。

しかし、同じことを主張する場合でも、その考え方、あるいは戦略に
間違いがあれば、反対の結果が出てしまうということを感じてしまいました。

皆さんはどう思われましたか?


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