努力のベクトルとは?
山本です。
以前、ブログでも触れたことがあるのですが、
谷亮子選手が、また、また、また、金メダルを手中にしました。
田村で金、谷で金、そしてママで金です。
これで来年の北京五輪でメダルを取れば、
なんと5大会連続メダル。
それも今までは銀、銀、金、金。
すごい。すご過ぎる。
彼女の成績、実績はさることながら、一番感じることは、
根っから柔道が好きなんだなということです。
好きでなければここまではちょっと・・・。
では、誰でも好きなことであれば、努力をすれば、良い結果が生まれるのか?
けっしてそうとは限らない。えてして逆の結果を生むことのほうが多いのが現実。
すきなことに努力する力、時間、気力は、
その結果として、自分の行っていることが「うまく行く・満足する結果」と必ずしも一致しない。
たとえば、陸上競技が好きで、100mをどれだけがんばったって、
世界中でごく一部の人しか10秒切れないだろうし、
たとえば、宇宙飛行士になりたくても、なれない人もいる。
世の中、色々なハンディキャップによって最初からできないこともある。
自分の目指している道は遠く、そして、険しい、でも努力し続ければきっと必ず…。
「好きなことをやり続ければ必ず“成功”する」という言葉に誤解してしまっていることも多い。
では、 「うまく行く」ことを望むのは無駄なことなのか?
成功は「功を成す」のだから、つまりそこへ向かってどれだけ挑戦することができたのか?
ということで、その過程がとてつもなく大事なこと。
どこからか「そんなこと奇麗事だ。」と言う声が聞こえてきそうですね。
どんなに過程に満足できても、結果が悪ければ、何にもならない。
極端な話、どんなに努力しても収入が上がらなければ、食っていくことすらままならない。
それはその通りかもしれない。
しかし、そう思う人のほとんどの人が自分の才能の100%を出し切っていない事実がある。
先ほどの話ではないが、しょせん100m走っても、10秒は切れないし、
ましてやおりんぴくで金メダルも取れない。
そう思って最初から全力を傾けなかったり。あきらめたりする。
それどころか、努力をしている人、挑戦を続ける人を小ばかにするときさえある。
努力のベクトル=「努力」(力の向き)
つまり、自分の努力をどの方向に向けるのか?
そして、その努力を自分の気持ちでどう昇華させるか?
これがとてつもなく大事。
もし何にも挑む心がなかったとしたら、成功もうまくいくこともない。
問題は何に挑みたいのか?
「あの時ああしておけばよかった」と後悔し、
後で“自分の言い訳”にしてしまうことが多い。
「たら、れば、でも、しかし、だから…」と何かが不足していたからダメになっただけで、
本当は成功していたと…そこに「努力ベクトル」を見つけることはできない。
「努力ベクトル」は、やりたいことを精一杯やってきたという失敗に対する潔さがあるから。
だから、「試合に負けて勝負に勝つ」ように、「うまくいかなかったけれど成功した」ということが
実際にある。
嫌になったのならやめればいい。
でも一度考えてほしい、本当に嫌になるまでやったのか?を…
「こんなこと続けて何になる?…」 では、続けなければ何かになるのか?
今自分のやっていることはうまくいかないかもしれない、でも、挑み努力する心は成功する。
実際に頑張っていた前の仕事が、全然違う今の仕事に役立つことがある。
うまくいかない時、人は今の状況から逃れたいと考える。
ダメになる理由よりも、やりたいことを追求する「努力の力」が
成功への足掛かりに必ずなる。