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すべては捨てるところから始まる。

山本です。

一生の長い道のりを歩き続けるとき、辛いときも悲しいときもありますね。
反対にいいときもあります。そのバランスは、案外死ぬときに振り返ってみると、
同じくらいの重さ・時間になってたりします。

けれど、どうしても辛苦の時間が多く感じられます。
それだけ人の心の中に重くのしかかっているから。
ある意味、トラウマになっている場合もあるんですね。

人の心の成長は、生きた時間だけに比例してくれると、
楽だけれど、そうは行かない。反比例する場合さえある。
見上げるととんでもない高さの階段を上るように、坂道を越えるように、
何度も行ったり来たり、上がっては下がったりを繰り返す。
実績が上がったと思えば下がり、喜んだと思ったら悲しみや苦しみがあり、
現実は生きるほどに「重く」そして「苦しく」なる。

人生365歩の何とやらではないけれど、
進んだり、後ず去ったり、泊まったりの繰り返し・・・。
これを繰り返す美に人間は初めて「成長」を得る。

時の流れに身を任せて、自然体の中で生きていく。
という言葉にあるが、とてもそんなことはできないし、
苦しみの中でもがき、それまでに至る道のりは、思考が行き詰って
自己否定し現実感がなくなってしまうような“辛い状態”であったりする。

「辛く、悩むこと」は、もしかすると好転させるためにもがくことではなくて、
別の何かがあるのかもしれない。
なぜならば、頭の中と心の中は、うまく行かないために、
パンパンになっている状態で、何も入らない状態というか、
考えることさえできない状態ではないだろうか?

そう考えると、行き詰った時 “成長”に必要なことは、
とにかく知識や経験を自分に詰め込むことじゃなくて、
「いらないものをいかに棄てるか?」ということだ。

捨てたあとに大事なことは、大切なこととは、学ぶこと。
今が土砂降りの雨でもやまない雨はない。

そしていつかまた降ってくる時もあるでしょう。
最初からうまく傘を差すことなんてできない。
何度も何度もびしょぬれになりながら、次第に差し方を学んでいく。

つい“雨はずっと止まない”と思いがちですが、この言葉の通り、
そうなったことは今まで一度も無いのです。

コメント

故郷高知を出て15年目です。
いろいろありましたが、周りの人に支えられ助けられ、昨年やっと起業しました。
まだまだ駆け出しですし、この度新商品を出したばかりなので今迷いの真っ最中です。
まだまだ僕は捨てるものすらない状態ですが、
山本さんがおっしゃるように人生を大切に学んでいきたいと思います。

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