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今日という日を受け継いでいくために。

山本です。

高知はこの連休、雨・雨・雨でした。。
おかげで子供(長男 中1)の運動会は今日まで順延でした。
今日は仕事なので見に行ってやることができず、嫁・母・祖母の女性3代応援軍団+次男坊。
私と言えば事務所でPCとにらめっこです。

思えば長男の運動会は、その学年に雨男(女)が要るんじゃないかと言うくらいに、
毎年のごとく雨が降ります。
小学校の6年間で、予定通りの日に開催できたとはたったの1回。
毎年々この季節になると、空を恨めしく見上げる日々です。

そんなことを考えていると、ずいぶんと子供も大きくなったものだと感じます。
つい昨日、生まれたような感じがするのに、もう中学生。
次男も5年生の腕白盛り。ずいぶんとたくましくなったものだと感心しています。

そんな子供たちを見ているとやはり思い出すのは、親父のこと。
子供の頃から厳しく言われていたことがいくつかある。

■挨拶は必ずすること。特に目上の人は敬愛すること。
すべての場面において、挨拶にはとても厳しかった。
それは親に対してだけではなく、友達・先輩・先生・近所の人・親戚縁者など
すべての人に対しての挨拶には厳しかった。
ろくに挨拶ができないと、当時よく殴られたものだった。
いつも親父は言っていた。
「自分ひとりで生きているわけではない。また、自分ひとりで生きていけるものでもない。
支え、支えられて生きていくもの。その基本になるのは、挨拶。すべてはここから始まる。
これができない人間は何もはじめることもできない。」

■だらずな(見苦しい)格好をしてはいけない。
とにかく親父は私とそっくりで頭の毛は薄いくせに、お洒落だった。
身だしなみをずいぶんと気にしていた。
私はどちらかと言うと、そういったことには無頓着で、あまり気にしない。
弟がどうやらそれを受け継いでいるみたいだ。
私も確かに無頓着なほうだけど、清潔感には気をつけているつもり。
学生時代に、パーマにひげを生やし、アロハ、サンダルで帰省したときのことが今でも忘れられない。
「身だしなみ・外見で人を判断してはいけない。しかし、服装とは人の気構えを表すものだ。
その場面に応じた服装と言うものがある。ひげを剃り、服を着替え、靴を履いて出直して来い。」
これは、極端かもしれないが、親父の言っていたことは確かだ。

■家族の時間を大切にしなさい。
いつも晩御飯を待たされた。親父がどんなに遅くなろうとも、小学生だった、私たち兄弟は
親父が帰宅するまで食事を取らせてもらえなかった。
母がいつも言っていた。
「家族で一番大切なのは、あんたたちだけど、一番偉いのはお父さん。
そのお父さんが一生懸命働くのは家族のため。家族がそろってご飯を食べれることは、
私たちの時代は考えられなかった。だから待てるものは待ちなさい。」
親父が帰宅し、親父が手を合わせ、「いただきます。」の合図をする。
そして、今日も家族でご飯を食べることができてありがとうと祈る。
親父が言っていた。
「待つ義務は無い。しかし、待ってくれると嬉しい。なぜならいつかお前たちが巣立っていけば、
毎日一緒に食べれることはできなくなるから。」

そして、今。
私も子供たちに対して挨拶はとても厳しい。服装はそうでもないが・・・。
そして、家族で「いただきます。」という合図でご飯を食べる。
今日あったことを話しながら・・・。

今の社会にとても違和感を覚えることが最近多い。
皆さんも同じ事を思う日々が多いだろう。

人間が人間として生きていくために何が大切なんだろうか?
教育基本法とか叫ばれている。
それだけだろうか?問題はあまりにも難しいが、解決方法はいたってシンプルではないだろうか?

昨日は敬老の日だった。
昨日は祖母に会えなかったので、今度の日曜日でも訪ねてみようかと思う今日この頃です。

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