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2007年11月24日

表裏一体とは?

山本です。

私はよくクライアントにお客様を「選ぶ・切る」という話をします。
この「お客様を選ぶ」ということが、なかなかできない人がいますし、
「切る」ということ自体が失礼ではないか?という声もたくさん聞きます。

ある方からこんな意見をいただきました。

> 私の今の事業の志は、
> お客様に期待以上の満足を与え、
> 思いやりと旺盛なサービス精神を持って
> 「貴方に頼んでよかった」の一言がもらえるよう取り組め。
> です。
> 私は、いかなるときも、お客様は、選びたくありません。
> 切ることなんて、考えたこともありません。
> 「時間の無駄」などと考えることは、全く考えられません。
> 例え一人社長であって、効率性を生み出さなければいけないと分かっていても
> 私には出来ません。

> 成功は、お金だけではないと常々思っています。
> そこで働く人間の生き様を大切にしたいです。
> 誠実に頑張って、お金儲けが出来ないのなら、それでいい。
> 人として、男として、夫として、親として、経営者として、
> 「きっと、私は甘いのだろう。」と思っていました。
>

正直な感想を言えば、なにか勘違いしていないか?
と思ってしまいました。

私が考える「選ぶ・切る。」というのは、自分の価値感をどこまで
認識してもらえるのか?

認識してもらえないお客様とは付き合えないということ。
自分のことを便利使いされたり、あるいは業者としてしか
とらえることのできないお客さんとは付き合えないということ。

当然、お客様から感謝をされたいと願っているし、
そのお客様に全力で答えたいとも思っている。

そのためにも、現実問題として、すべてのお客さんには、
答えることはできないし、「安ければ誰でも良い。」と
感じている人には全力を傾けることもできないし、
傾けようとも思わない。

そして、全力を傾けるためには、当然のことながら、
「対価の報酬」をいただけなければできないことだ。
だから安くなんてできない。

安売りをすればするほど自分の価値感を下げることになるし、
自分の首を絞めることになる。
圧倒的に儲けることが重要なのである。

そもそも考えてみて欲しい。
企業家の価値はどこにあるのか?
企業の存在価値はどこにあるのか?
企業目的は何なのか?
社長たるもののステイタスはどこにあるのか?
社長の責任の所在、その評価はどこにあるのか?

それは、語弊があるかも知れないが「お金」であり、「儲け」である。
それができなければ、会社も社長も何の価値も無いことは隠しようのない事実だ。

あえて、批判を恐れず言ってしまえば、「世の中お金ではない。」などと、
奇麗事を言うのは貧乏人、負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
お金儲けをしてから初めて言えとさえ思う。

お金が無くて、衣食住に困れば、「精神的」に耐えられない。
心も絶対に豊かにはなれない。
もちろん、派手に贅沢になれといっているわけではない。
しかし、貧困であれば、「心のゆとり」は絶対に生まれないものだ。

そういった意味で言えば、ましてや社長である。
その価値と責任はお金によって、還ってこなければ意味がない。

でなければ、社会にも、お客さんにも、家族にもそして社員にも
満足に責任を果たすことは絶対にできないのである。

例えば、儲けることができなくて、倒産してしまえば誰がこれらの人々への
責任を果たすというのか?路頭に迷った社員、家族は?
頼れる企業が倒産したあとの顧客はいったいどうなるのか?

このように、お金儲けは必須。
その為にもお客さんは選ばなければならない。

しかし、ここで忘れてはならないことがある。
それは、「生き様」であり、商売への「一貫性」だ。
これを忘れてしまっては、ただの「銭の亡者」となってしまい、
ここ最近頻繁にあるマスコミ報道のように、企業モラルが問われることになる。

このように考えてみれば、商売というのは、つくづく難しい。
金儲けだけではいけないし、それが無くては企業の存在価値もない。
そういう意味ではどのような商売にも表と裏があり、
それが一致して一貫性が無ければならないと思う。

先ほどの方からこんな続きの言葉をいただきました。

> 私、お客様の笑顔が好きです。
> ついつい、もっとご要望にお答えしたくなって
> リフォームを考えるようになりました。
> でも、もう少し、考えて見ます。
> 今は、周りの人を大切にして、地道にがんばって生きます。

そうです。

私たちはお客さんの笑顔のために働いています。
そして、その笑顔をひとつでも大切にするために
もうひとつ大事なことがあります。

それは「自分も楽しい」ということ。
これが何より大切なことです。

どんなにお金儲けができても楽しくなければ意味が無い。
お金だけでも幸せには絶対になれないから。

楽しい仕事をワクワクして自分のためにやっていく。
そして、自分の価値感を認めてくれる方に精一杯の
サービスを行い対価の報酬をいただく。

それが本当の仕事であり、生きていく価値だと感じています。

2007年11月14日

頭で考えるのではない。魂で感じることだ。

山本です。

すみません。ずいぶんご無沙汰で。
けっこうなブランクがあいてしまいました。

その上更に、久しぶりのブログなのに、
こんなことを書くとまた怒られそうですが、
ずいぶん前のネタになってしまいます。

しかし、その内容はとてもすばらしいことなので、
ここにご紹介したいと思います。


去年の今頃の話なんですが、クライアントさんさんからの
実践報告を皆さんにお伝えしたいと思います。

Aさんは、電話相談をどの方よりも
たくさん掛けてこられた人でした。

しかし、なかなか結果に結びつかず、悩んでいらっしゃいました。
いろいろな実践も失敗に終わり、悩む日々を過ごされていました。

大変勉強熱心で、実践派だったAさんが失敗してしまった最大の原因は何か?

それは、山本メソッドを表面からしか表現できなかったから。
心の底から、魂の叫びを表現できなかったから。

しかし、ある時本当の意味で、Aさんの心の中に、腹の中に
山本メソッドが落ちるときが来た。

では、なぜ辻さんが頭の中で理解できていたことが、腹に落ちたのか?

それは、Aさんが苦しんだことにあります。
苦しんで、苦しんで、苦しんだからこそ、Aさんのものになりました。

そんな嬉しいAさんからの報告をお読みください。
そして、そこから何かをつかんでみてください。

ここから。

お久しぶりです。Aです。

今まで人生や仕事において大きな失敗をしてこなかった私は
山本塾での経験は、自分の頭で本当に考えることをしないで
受験勉強みたいな暗記勉強をしていた。

ですから当然結果は出ませんでした。
私は妻の手によってバリカンで丸坊主になりました。
ここまでの自分とさよならし新たな出発ができることを誓いました。

絶対にあきらめないとこう宣言して・・・。

明日、私はB県の超激戦区のリフォーム屋、建築家連中の中から
選ばれてB県のリフォームコンペでB県知事賞受賞者12名の
中のトップをいただきに行きます。

コンペと言っても私は初挑戦でした。
相手は大手や常連の会社や建築家ばかり。

応募の理由とはもうチラシを打つ余裕も全くない状態で
プレスを書こうとも焦りと迷いばかり。

そこで、私はリフォームコンペへの挑戦を試みることとしました。
以前から教えていただいているチラシづくりを徹底的に復習し
一般の方へ役に立つメッセージを書くこと。
これだけに徹底し自慢や難しい技術は必要ない。

審査の相手がプロであろうが魂を書くこと。ただそれだけ。 
ある日1本の電話がなりました。
「おめでとうございます。受賞いたしました。」

しかし、単なる入賞なのかどのレベルの受賞か聞くことも
正直怖くて出来ず待つことにしました。

下の方では意味がない。
トップ以外は意味がないこともわかっていました。

2週間たって1通の封筒がきました。
この日は 私の父の37回目の命日でした。 

封筒のなかにはたった1枚の紙が入っていて、私の名前が
1番頭に書いてありました。

明日から3日間市内の大ホールにて、○○フェアが開催されます。

来場者予想は35000人だそうです。
すべて見込み客みたいなものです。

今週はこの辺のどの会社もリフォームフェアやっても集客はありません。
ほとんどここに行きます。

明日、フェア開催とともに数百人のまえで表彰式があり、
1番の表彰台に乗ることができます。
コンペの作品も一番いい場所で3日間展示されます。

近日予定だそうですが、地元新聞の1/4面に写真と名前がでます。
(私だけの枠でカラーです)

そして行政のパンフやHPなどの広報にも掲載されます。
これらを考えると数百万円の広告宣伝費の効果であり、
明日から3日間は、私は県で一番有名なリフォーム専門家に
なることができました。

ちなみに審査員の私の作品に対するコメントです。

「すみこなしていく課程の中で出てきた長年の生活要求を順次記録し 
リフォームで総合的に解決しようとした作品には、迫力と説得力があり、
審査員の多くも身につまされました」

魂で訴えることで、他の方のコメントにはないダントツの評価でした。

さて、明日の授賞式のコメントも考えています。
圧倒的なコメントを言うことにしています。TVやマスコミも来ているはずです。

この機会をもとに 2次的な集客の手段も準備しています。
集客までの仕組みはとにかく自分でやってみます。

まだまだお金には1円にもなっていませんが、
最高のチャンスを得ることができました。

受賞したことは単なる集客手段にすぎません。しかし、圧倒的に勝つ方法は
自分でたった一つでも見いだすことができました。

あきらめない。これだけでした。山本塾のおかげです。
でなければ、ド素人初出場の選手が、優勝なんて出来るわけありません。

もう1ステップ進めて自分の力で頑張っていきます。
自分で考えることが、どれだけ意味があるかもっともっと経験する
必要があります。

しかし、セールスなんてまだまだこれからです。
絶対これから結果を出していきます。お金にすることです。

是非今後ともお力を貸してください。


ここまで。


ここから山本の返信。

もしかすると、Aさんの人生の転機が近づいていたのかもしれません。
山本塾にご入会いただき、そして、もがき、苦しみ、
結果を焦る日々。

その中で、Aさんの心の中で大革命が起こったのかもしれません。

「今まで人生や仕事において大きな失敗をしてこなかった私は去年の
夏からの山本塾での経験は 自分の頭で本当に考えることをしないで 
受験勉強みたいな暗記勉強をしていたからです。
ですから当然結果は出ませんでした。

以前の見学会のフォローの客に対して 見積もり提出まで
行きました。しかし その結果は×でした。
最後はとうとう お客と 怒鳴りあいのケンカまでして帰ってきました。

その夜、私は 妻の手によって バリカンで丸坊主になりました。
ここまでの自分とさよならし 新たな出発ができることを 誓いました。

会社も存続させるし 事務所も撤退しない。
絶対にあきらめないと こう宣言して・・・。」

人は、本当のどん底の時に、そして、闇夜の中に、本当の光を見つけると
言います。

私もそうでした。自己破産をし、リストラされ、代行運転の毎日。
さらに、死を覚悟してまで作ったやみ金からの借金。

そこまで落ちたとき初めて心が崇高になり、
本当の魂が宿ったのかもしれません。

しかし、本当の成功はその後やってきた。
努力、実践を続けるものには必ず必然のチャンスが生まれる。

あきらめない者は、そのチャンスを必然に変える力が備わる。

必然に変えたものは加速度がつく。もっともっと実践を続ける。
やがてそれは大きなうねりとなって、奇跡を生む。

「明日、私は 県の超激戦区 のリフォーム屋 建築家 
連中の中から選ばれて県のリフォームコンペで 
県知事賞 (受賞者12名の中のトップ)を いただきに行きます。」

おめでとうございます。
すごいことですよね?

作品のすばらしさがあればこそですが、その作品に本当の意味の
「魂」が宿っていた証拠だと思います。

以前の見学会では、それがうまくチラシの中で表現できなかった。
建築家の「作品」として、プロの自慢話になっていた。

しかし、今回は、

「以前から教えていただいているチラシづくりを徹底的に復習し 一般の方へ役
に立つメッセージを書くこと。これだけに徹底し 自慢や難しい技術は必要ない。
審査の相手がプロであろうが 魂を書くこと。ただそれだけ。」

これこそ、山本メソッドの真髄です。
今初めて、腹のそこから理解できたのではないかと思います。

ここから、代逆襲が始まるような予感がします。

本当によかったですね。

「2週間たって 1通の封筒がきました。

この日は 私の父の37回目の命日でした。 
封筒のなかにはたった1枚の紙が入っていて 
私の名前が 1番頭に書いてありました。」

「ちなみに 審査員の私の作品に対するコメントです。

「すみこなしていく課程の中で出てきた長年の生活要求を順次記録し 
リフォームで総合的に解決しようとした作品には、迫力と説得力があり、
審査員の多くも身につまされました」

魂で訴えることで 他の方のコメントには ない ダントツの評価でした。」

魂のこもったものは人の心をとらえて離しません。
これこそ商売であり、私たちが伝えていかなければならないメッセージ、
生き様だと思います。

それがお客様に通じたとき、ダントツへの道が始まります。

お父様もきっと導いてくれたんだと思いますよ。

実践をして、苦しんで、表面的なことばかりに走り、結果が出ないとき、
「しょせん、こんなものか」とあきらめてしまう。

しかし、あなたはあきらめなかった。

本当の「魂を込める」意味を悟ることができた。
そういう意味で、山本メソッドが今こそ腹に落ちたのではないでしょうか?

今後のますますのご活躍をお祈りします。


ここまで。

さぁ、つぎは誰の番ですか?