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2007年02月21日

チャンスは平等ではない。

山本です。

よく聴く言葉があります。
「チャンスは誰にでも平等にある。」
その通りかもしれません。

しかし、私は、それは最初だけだと思います。
女神はチャンスを与えようとします。
しかし、気付かせようとはとはしてくれません。

気付いた人間にだけ、次のステージを用意してくれます。

チャンスというのは「結果」ではないですよね。
「結果」に対する「挑戦権」のようなものですよね。
私はそう考えています。

ですから、その挑戦権すらつかもうとしないのであれば、
当然、結果が得られるわけはありません。
ましてや、最初から結果の分かっているもの。
つまり、成功が約束されているものはありません。

だいだい、私に言わせれば成功=結果の約束されている、挑戦なんて、
これほど面白くないものはないと感じてしまいます。

昨日まで東京に行っていたのですが、
ある方と「自分への投資」ということでお話をさせていただきました。

自分への投資とは、もちろんお金だけではありません。
時間もあるし、人でもあるしいろいろなケースがあります。
しかし、自分への投資を戸惑う人は、けっして自分のステージを
造ることはできない。

だからこそ、自分に訪れるチャンスに対して、
自分の持ちうる全ての五感でいつも感じていなければならない。
そして、訪れたチャンスに対しては、敏感に能動的に挑まなければならない。

無謀なトライ。例えば、資金的に、時間的に、精神的。
それは判断は必要かもしれない。
可能性のある場合は、どんなことをしてでも、
すべてチャレンジしてみることが必要である。

「とりあえず動け。」
これが私のモットーなのですが、確かに失敗もカスをつかむこともあります。

しかし、何もしない人よりははるかに豊かな人生を歩むことができる。
そして、チャンスに挑戦する内に、本物と巡り合い、結果を手にすることができる。

2007年02月14日

トラブルこそ最大のプレゼント。

山本です。

自分で何か行動を起こそうと考えたときは、
必ず誰かが反対をする。

結果がそこまで見えてきたときに限って、
必ず何か障害が起こる。

そんなことはありませんか?

何の問題もなく、自分の思うとおりに、結果を得られることは稀で、
ことごとく邪魔が入ったり、トラブルに巻き込まれたりする。

それも、自分の予測範囲外のことであったり、
まったく、自分の努力とは無関係の邪魔が入る。

自分の努力が足らなかったり、予測が甘かったり、
つまり自己責任範囲の中でのトラブル・障害であれば、
それはそれで納得ができる。

また、乗り越えられるかもしれない。
しかし、自分の責任外のトラブルが起こると、
それはかなりの大きさで精神的ダメージが起こってしまう。

どちらかといえば、このような形で努力が止まってしまう人が多い。

しかし、考えてみると不思議なことがある。
それは、トラブルに巻き込まれ、それにくじけず達成したときのほうが、
得られる結果が、スムーズに行ったそれよりも大きいことだ。

考えてみると道理かもしれません。
なぜなら、どんなに努力をしていたとしても、
それは本当に、普段から降るスロットルの力を出し切って努力をしているか?
ということです。

つまり、トラブルというのは、人に全力の力、
フルスロットルの努力を促すギフトだということです。

何のトラブルもないということは、努力する必要はありません。。

大事なことは、トラブルが起こったときにどう考えるかということ。
もうだめだ。と投げ出してしまうのか?

それとも、自分の力を神様が試そうとしているのか?
と考えられるか?

誰でもそうですが、与えられる課題が簡単だと
なーんだこんなものかと満足感もないはずですね。

逆に山あり谷ありの行程があって、たどり着いた結果ならどうでしょう。
その満足感は相当なものだし、
自分もこんな力があったのかと、次の結果も期待することができますね。

トラブルが発生したらこう言いましょう。

「この程度のトラブルでへこたれると思いますか?まだまだだね。」

2007年02月05日

人生が立ち直る不思議なおまじない。

山本です。

死ぬぐらいの体験やどん底を味わった人間は本当に変わります。
それは、もう二度とその時代に帰りたくないから。
二度と失敗を繰り返したくないから。

それでも変われない人間は、「馬鹿は何とか・・・。」になってしまうかもしれません。

逆に、幸せな生活を体験している人は、この幸せを逃したくないと考える。
それもまた真理かもしれませんね。

死ぬほど辛い目にあった。
と言うことをよく聞きますが、これはある意味間違い。
なぜならば、死んだことがない以上、死ぬことに対して、どんな感情か分からないから。

ですから、例えば癌になって、それが初期がどうか分からず、
検査結果待ちの状態であれば、こう祈ることができる。

「神様お願いです。この病気が治るのだったらどんなことでもやり遂げます。」と。

私のごく親しい人にもこうした経験をした人がいらっしゃいます。
その人はこういう。
「どんなことがあっても、死ぬことはないのだから、失敗は恐れません。」と。

つまり、そこまで経験することによって、初めて自分が崇高になれるのだと思う。

自殺をする人が後を立たずに、生きていればきっと言いことがあるのに、と
思うのは他人の考えかた。

本人は死ぬほうが楽なのだから、そこから逃げることしか頭にない。
だからと言って、自殺を奨励するつもりはさらさらない。

自殺を考えようと思っているのならば、こう言いたい。
生きたくとも死んでいく人がいるのだから、その命を分けてくれないか?と。

死ぬほどの体験をし、そこから生還した人はこう考える。
、「生まれ変わったかのような気分」。

しかし、本当に死んでしまったらその後、生まれ変わったり、人生のやり直しはできない。
だからこそどんなことがあっても、逃げてはならないのだ。

惨めに落ち込んでいる自分があるとき、周りの人は慰めてくれたり、
励ましてくれます。
しかし、慰められると、余計にふさぎこんで、どうせ何をやっても自分はとなってしまいがち。

そこで、自分を奮い立たせるためにどんなおまじないがある。

それは、ちょっと極端だけど、自分名大事なもの。
何があっても失いたくないものを想像して、

「自分がたちら直らなければ(成功しなければ、)大切なものが消滅するとしたら?」
と考えてみることです。

私だったら、迷わず家族。
これだけはどんなことがあっても失いたくない。

自分が頑張らなければ、その罰として、子供を失うとすれば、、、と想像したとき、
それは、私にとっては死ぬよりも辛いこと。

だから、このままではいけないと思って、立ち上がろうとする。

このように、少し話が誇張過ぎるかもしれないが、
自分にとって、一番大事なものを失うことになるかもしれないと想像してみてください。

それを守れるのは自分しかいない。
あなたしかいない。

自分の中にある大事なものをを殺す。自分が生きていく上で絶対に失ってはいけないもの。
それは生きていく価値観。

頑張るしかないのです。