石橋をたたいても渡らないのか!?
山本です。
先日、東京からお客さんが来られていました。
私のビジネスを影から支えてくれている方。
毎月一度お会いするのですが、毎回新しい刺激をいただいています。
今回も、1日中いろいろな打ち合わせをさせていただき、
いつものように終了後、美味しいお酒を一緒させてもらったのですが、
そのときに彼が突然こんな質問を私に投げかけました。
「山本さんの最終着陸地点はどこなんですか?」
「どこに目標を置いてらっしゃいますか?」
そして、
「それは、収入のことでも、生活のことでも、精神的なことでも構わないんですけど。」
と、質問をされました。
この質問は、私にとってまさしくタイムリーな質問だったのです。
最終着陸地点を決めているわけではないのですが、
最近、このことについて考えることが多かったのです。
私の最終目標は、おぼろげながら見えてきました。
これについては、また後日ゆっくりとお話をさせてもらおうと思います。
今日は、とても現実的なお話かもしれないけれど、
安心、安定についてお話させていただきたいと思います。
彼から、「収入のことでもいいのだけれど・・・。」と話されたとき、
思わずこう答えていました。
「いくら欲しいということは特別無いんですよ。」
「でも、最近すごく思うことは、私たちには安定が無いなということです。」
私は「山本塾」を主宰して、いろいろな方と電話でお話したり、
お会いして、商売の業績アップのお手伝いをさせていただいています。
常にみんな能動的で、実践し、結果を出してくれています。
しかし、どんなに結果が出ても安心はできない。
いつも、不安と戦っています。
それは、先が見えないからですね。
いくら、今の状態が良くて、売上が上がったとしても、いつまで続くか分からない。
つまり、安定が保証されていない不安があります。
私も、同じことでどんなに収入がアップしても、
安心ということはひとかけらも考えられない。
やっとここまで来れたか、しかし、これを維持するためには、
もっと上を目指さなければ安心できない。と、
いたちごっこを続けているようです。
考えてみればすごく当たり前のことで、公務員でもない限り、
どんな商売であっても、絶対ということはありえないし、
どんなに商売がうまくいっていても、永遠ということは絶対にない。
では、絶対に永遠ということがうらやましいか?
正直うらやましいと思いますね。
これは私の本音です。
それはもしかすると、過去の悲惨な体験から来ているかもしれません。
今でも、夜中に夢を見て、うなされ、突然目が覚めるときがあります。
私の中でトラウマになっているのかもしれません。
どんなに収入が少なくとも、
生活ができる収入があって、それが死ぬまで続くのであれば、
それが一番いいのかもしれない。
そうすれば、仕事よりも家族や趣味に時間をかけて、
幸せな生活を送れるのかもしれない。
だから、さっきの質問を受けたとき、思わずこう答えてしまいました。
「絶対的な安定があれば、それが着地地点ですよ。」
そうすれば石橋をたたいても渡らないような生活ができるじゃないですか。
今のように壊れそうな橋でも、補強しながら渡ることはないと思うのです。
徳川家康が言いました。
「人生は重い石を抱いて、険しい階段を一歩一歩登るようなものだ。」と。
人は安心、安定のために、不安と戦いながら一生生きていくものだ。
不安が消えないから、挑戦を続けるものだ。
安心と安定は欲しいと思う。
でも、平坦な人生は欲しくない。
石橋をたたいても渡らないような人生は面白くない。
何の感動も得ることはできないからだ。
波乱万丈かもしれない。
しかし、そこには自分が生きた足跡がしっかりと残されるようになると思う。
安定と安心をずっと手に入れたいと思えるから、
挑戦を続けることができる。
安定しかない人生だったら、きっと退屈で死んでしまうだろう。